スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2018の投稿を表示しています

片山広明のこと

2018年11月13日火曜日。テナー・サックスの片山広明さんが亡くなった。 67歳。長年の重度の飲酒が原因の肝臓癌による死だった。 8月8日に当店= NO TRUNKS に DUB で出演した際に旧知の内科医が客として来ていて、「片山さん具合どうですか?」「良かったら私の病院に来ませんか、診てあげますよ」・・・。 そんな感じで病が発見され、発見されたものの手の施しようがなく3ヶ月後に亡くなった。 本人も死期を悟っていたのだろう。 新星堂が Disk Inn と云う名の輸入盤店舗を新規展開したのは1979年、私が29歳の秋だった。吉祥寺に有った、レコード・プラントを買収し Disk Inn NO.2 となる。新星堂の一号店だった高円寺南口店が Disk Inn NO.1 となり、私が店長に抜擢されたのだ。 それから2年程してだろうか、当時高円寺にあったコジマ録音に勤めていた日永田さんから「今度、どくとる梅津バンドと忌野清志郎との合体バンドが出来るらしい」「村上さん、手伝ってもらえないかな?」そんなわけでデモテープ作りを手伝うのだが。 店の定休日を利用しての録音。会社には内緒でね。その当時、どくとる梅津バンド=後の DUB の事はまだよく知らなかった。生活向上委員会は話題になったしファンだったんだけどね。梅津さんと原田さんと板谷さんが目立っていたよね生向委。 しかし、その日の録音で、片山広明のドデカイ音やコブシに、私は KO される。「片山広明恐るべし」「この男、追っかける価値あり」 コルトレーンの「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」を聴いて人生決めた私が再度人生のギアチェンジを試みたのが片山広明の音だった。 片山の無伴奏ソロ・アルバム「 Equator 赤道 」を日永田さんと店の従業員だった寺本さんと3人で制作したのはその翌年だったか。 早川岳晴と角田健とのトリオ作「ドライシェリー」は東京ニュージャズ・フェスティヴァルのレーベル、 NO TRUNKS からの発売。 東京ニュージャズ・フェスティヴァル(以下 TNJF )は当時1980年中頃、日本たばこ産業とピール会社が金に物を言わせて海外から有名ミュージシャンばかり招聘...